8/8放送のしくじり先生 俺みたいになるな!!3時間スペシャルに出演した山咲トオルさんが、いかにめんどくさい奴で仕事を失ったかの過程を暴露解説しました。
沖縄で育った山咲さん、沖縄県立浦添工業高校を卒業後、アイドル歌手を目指して上京。
高校時代は他校から女生徒が見に来るほど女の子にモテていたので、アイドルに向いていると思っていたそうです。
男性からも告白されることがあり、アイドル気取りで「ごめんなさい、私はみんなのトオルちゃんだから」と言って断っていたとのエピソードも披露。
アイドル目指して上京したものの
東京生まれの沖縄育ちの山咲トオルさんにとっては帰京なのかもしれませんが、芸能事務所やイベントなどおよそ300のオーディションを受けて、すべて落ちたそうです。
自分の実力を棚に上げて、時代遅れの審査員には自分の魅力がわからないと思っていたそうです。およそ7年に渡り進歩が無かったことを認めています。
そんな中、コンビニでたまたまホラー漫画雑誌を手に取り、直感で「これくらいなら私にも描ける」と思ったそうです。
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— 楳図かずおニュース (@umezz_news) 2016年7月30日
もともと楳図かずお先生の大ファンで、高校もデザイン学科に通っていたことから、ホラー漫画を描き上げて出版社に持ち込むと、一発合格で2週間後にホラー漫画家としてデビューを果たしました。
山咲トオルで人気を博し
漫画家としてつけたペンネームが「山咲トオル」で、大好きだった「山咲千里」と親戚の名前「トオル」からつけたそうです。
本名が「中沢惣八郎」と若々しくなかったためにペンネームにしたとのことですが、ホラー漫画家としては悪く無い気がします。
連載が始まるとすぐ人気を獲得し、デビュー半年後には表紙イラスト、巻頭カラーを担当したため、編集者に「読者のお悩み相談コーナーをやらないか」と持ちかけられ、「自分の顔を載せたら人気が出る」と提案したそうです。
少しずつ変わった漫画家として名前が売れ始め、28歳でラジオ番組のレギュラーを持つと人気番組に。完全に舞い上がり「山咲トオルファンブック」まで出版。
自意識過剰で出したアイデアが編集会議で通ってしまったそうですが、これがテレビ業界の目にとまり、バラエティ番組「たけしの誰でもピカソ」の出演オファーがきたそうです。
人気者からどん底に落ちた今
テレビ出演すると、ナヨナヨしたオネエキャラが大ウケし、太田プロから「所属タレントにならないか」とオファーがきたそうです。
もともとアイドル志望でしたが「体力系、お涙ちょうだいはNGで、ヘアメイク・スタイリストは自分のセンスでやりたいので不要。身体がガリガリでみすぼらしいので、肌の露出はNG。乳首が写るのはNGと条件を出し、了承されて太田プロに所属することに。
所属が決まった日に「踊る!さんま御殿の出演が決まった」と電話がきたそうです。
太田プロのスタッフが、山咲トオルの所属が決まる前に番組のスタッフと事前交渉していたためだったが山咲トオルは「NGでお願いします」と答えたそうです。
その後、ひな壇でうまくトークができないことに悩み、タレント活動を休業。その間にオネエタレントが増え続け、自分のポジションが無くなってしまったとのこと。
浮き沈みの激しい芸能界なので、忘れられてしまうと再浮上するのはなかなか難しいようです。
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